2010年4月1日木曜日

TVのリアリティ

仕事柄テレビは比較的よく見る。ただしコマーシャルとニュースが中心である。ドラマやバラエティといわれるジャンルは、あまり積極的に見入ることがない。情報提供のメディアとしてテレビは、本来時々刻々の変化事実を素早く、リアルに伝える機能を持っている。しかし昨今の番組コンテンツを見ていると、さしたる感動を覚えない。おかしみも湧かない。
突然に起きた予期せぬことに、ハッとした驚き。番組づくりの事情もあるのだろうが、驚きの機会を提供した瞬間に映像が変わる。コマーシャルが間に入る。気を取り直して改めて続きを見ると、遡行して前の場面を繰り返して見せられる。見ている側が気分を再度盛り上げていかなければならない。感動を繰り返すのは難しい。気もなえてしまう。予定されたプログラム時間の少なくとも一割は繰り返しているように感じてしまう。視聴率競争激烈な中にあって、番組途中でチャネルを変えられたのではたまらないとの思いが番組提供者側にはあるのだろう。一方見ている側では、何度も繰り返されたのではたまらない、との思いがある。
テレビ放送が開始されて今年で50年。草創期に「一億総白痴化」の元凶とも言われ(大宅壮一)、子どもの情操にも影響を与えるとの俗悪番組が槍玉にあがったこともある。それだけ、生活空間に多大な影響を与える存在であった。今もその存在自体の大きさに異論はない。しかし問題は伝達される情報の質である。
「今」を伝えるべきものが、その「今」を感じさせなくなっているように思われる。繰り返しの仕組み、季節を感じさせない服装の氾濫。そして何よりも、リアルであることを忘れてしまったような、つくり込まれた番組内容。「今」起きていることを「今」見聞するから感動がある。遅れてきたものには、感動のレベルは数段の落ち込みがある。世の動きのリアリティを告げるはずのメディアが、いつの間にか受け手である視聴者にこびるような姿勢を見せている。テレビは、コミュニケーション手段の効率性を実現するメディアである。マーケティングの現場展開においても重要なポジションを占めている。しかしそこには、本来的なミッション(役割)を担うことの保証があってはじめて実現されることを忘れてはなるまい。

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