2010年7月27日火曜日

昆虫顔

40数年前から、個人的な意識としてあるダウンタウンのひとつに渋谷がある。学生時代に友と語ったのも、酒の席を知ったのも共に渋谷であった思い出がある。この街がいつのまにやら大きく変質してしまった。大人を見かけることが少なくなった。どこかに追いやられたようだ。それに代わって、多くの子ども達が席巻するようになった。
街の活力は、その街に流れる風が影響を及ぼす。街を占有している割合に高齢者が多いからといって、歳をとった街とは言えない。高齢者が多いといえば、かの有名な巣鴨がある。確かにお年寄りが多く商店街で買い物をしたり、お茶をしたりと賑やかだ。非常に元気な街である。活気がある。そこに流れている風はよどんでいない。溌剌とした風が、多くの高齢者に吹きかけ、すがすがしさすら感じさせる若さ溢れる街である。歩み来た日々を振り返りながらも、明日をしっかりと見つめ、生きる力を感じさせる大人の顔がある。
そのような眼差しで今の渋谷を見ると、活力ある風が吹いていない。逆によどんでいる。まっすぐに前に向かって歩きたいのだが、それが叶わない。若者の声は聞こえるのだが、会話が聞こえてこない。前をふさがれるので、少し横によけて歩こうとすると、大きなゴミにぶつかりそうになる。と思えば、ゴミではなく街角にべったりと座り込んだ若者数名であった。街が汚れて見える。色がつかない街である。カラフルな服を着て歩いている者たちは多いのだが、その色が街の景色にならない。どうやらそれは、歩く人間の顔つきにもよるようだ。
日常を含めて、人間としての思考回路を停止してしまった顔つきが多い。無表情なのである。「昆虫」のような顔をしている者に出会うことがある。大人になることを拒否して、今の状況に対しての疑問文すら持ち得ない顔をしている。眼だけが、おどおどと回りを見やる。さながら、昆虫の目である。脳が退化してしまったのだろうか。人生において感動をした痕跡を持たない顔である。夏の一日に気になる風景だ。

2010年7月14日水曜日

「会社」って?

あなたは「会社」を見たことがありますか。何を今さら・・・毎日通っているではないか。と言われるかもしれないが、あなたが通っているのは、会社の場所=社屋であって、会社
に通っているのではない。通うのではなく、会社という「機能」に参画しているのである。「あそこが株式会社○○の本社だ!」と、我々が日常接し、眺めているのは、株式会社○○の本社社屋ということになる。
会社とは“Company”である。“Com”は、“Communication"のComと同じく、「共有する」ことを意味している。“Pany”は「食糧」のことである。したがって、“Company”とは「食糧を共有する(同じ釜の飯を食う)」ということになる。ただ、単なる人の集合としてのみ見るのではなく、さらに解釈して“Pany”の食糧を、人が生きるうえで必要となる「根源的価値」と理解されている。
会社=“Company”とは、「価値共有の集合」ということになる。
果たして、各会社はどのような「価値」を生み出すために集まった集団なのであろうか。昨今動きが急な「分社化」も、多様な価値の分散化を改め、価値を統合的集団に再編成することに他ならない。
あなたは毎日、どのような価値を生み出すために「会社」に参画していますか?
あなたの「会社」が生み出している価値は何ですか?自らの確認からマーケティングは始まる。

2010年7月1日木曜日

相身互い

失われた10年とも言われたバブル経済崩壊後の日本の社会。それに続く世界全体を覆う経済停滞感。何とはなしの疲労感漂う顔付きや、未来を見ることのない眼を持った若者に出逢ったり・・・・。自分の気持ちを素直に出すことが出来なかったり、その想いを文字にすることが出来ない人が増えたりと、どうも現在、「考える力」が軟弱になった社会に住んでいるような気がする。「考える」ことを放棄したのかも知れない。
相手のことや相手の立場を知ろうとせず、自分中心に世の中が回っていると思っているような人に出会う機会が増えてきた。街を歩いていると、都会では止む無く人とぶつかったり、大きなバックの角が当たったりすることは日常茶飯事である。しかし、その瞬間の会話がない。ぶつけた方もぶつけられた方も無言である。ただ、お互いに不愉快そうな顔をして行き過ぎる。一言の「失礼」「ごめんなさい」を言う暇もないほど、先を急ぐ日々であろうか。決してそうは思えないときが多い。
この国の文化は、お互いに痛みを分かち合う社会ではなかったか。「相身互い」の言葉がある。互いが互いの立場に立って考え、事にあたれば相互の理解が進むとの考えがあったはず。いつの頃からか、そのような精神文化はどこかに行ってしまったようだ。相手を思いやることがない社会では、当然相手の心の痛みや悩みは知るよしもないであろう。人を傷つけても、自らの心が痛まないのかもしれない。
マーケティングの根源は、顧客の立場を知ることに始まる。相手の立場に立って、その思考と志向を読み解くことが必要になる。まさに、自らも受け手に立って、相身互いの思考回路を持たなければ、顧客に近づく施策など生まれないと思うのだが。

想いを発信する

 今思うこと。それは、HPにローンチした様々なファイルやガイドを、どれだけの人に見てもらえるかということ。 当方としては、500人の方々を目標にしている。 なかなか、難しい。独りよがりにならぬこと。粘り強く。 Management Partnar Staff 清野裕司