2008年9月7日日曜日

「送り手」と「受け手」

マーケティングの命題は「送り手」と「受け手」との良好な関係を永続的につくることにある。良好な関係とは、お互いがお互いのことを理解しあっていること。その関係は「販売」と「購買」の関係もあれば、「製造」と「使用」の関係もある。
販売を支援する手段としてマーケティングを捉えると、「いかに売るか」を発想の起点にして、さまざまな仕掛けや仕組みをつくることに注力してしまう。営業の役割は、自分たちの置かれている状況をつぶさに「見て回る(営の本来的意味)」ことにあり、自分たちのお客様と会話をしながら、相手を理解しようと努力することでである。
「売る」「買う」という経済的な関係だけに目をやってしまうと、どうしても相手のことを、さも狩猟すべき獲物のように捉え、相手の心の変化を見ようとすることを忘れてしまう。
マーケティングに求められているのは、獲得する相手を探すのではなく、自分をわかってくれる相手との会話を進める活動にある。

未来を見せるのがマーケティングの役割

時代に流れる風。これからのマーケティングの進路を示唆する風には、驚きの無い,未来を描こうとしない心の貧しさを感じてしまう。
若者たちの未来を見せるべき大人の行動姿勢にも原因がある。拝金主義,経済行動優先,そして人間らしく・・・としたり顔で言う、一部の大人たちを見れば、子供たちは考え,学ぶことの楽しさを知る機会すらないままに大人になってしまう。
豊かさとは「モノ」によってつくられるのではなく、その人の「志」が生み出すもの。真の豊かさを伝える規範を創造することが、今世紀に生きるマーケティング・スタッフに与えられた基幹的なテーマだと思う。

マーケティングを学ぶ

私の仕事は、企業のマーケティング・スタッフの方々と一緒になってビジネス・テーマを考える場に参画したり、企業内のスタッフにマーケティング理論を伝えることが主流である。一方通行的なものではなく、お互いに会話をしながら知恵を熟成させ、新たな発想を求めるワークショップ・スタイルのプロジェクトをコーディネートする。決して調査屋ではない。
そのような場でよく聞かれることがある。「マーケティングについて、どこで勉強するのですか」との問いである。個人的に日々の見聞自体が勉強と心得ている者にとって、改めて「どこで・・・」と聞かれても、「普段の生活で・・・」と答えるしかない。
勉強するとは「知らないことをわかるようにする」「自分なりの解釈をする」「学問を体系的に理解する」と、さまざまなレベルがある。どの段階にあっても、さまざまなアプローチがある。学校で一般的な学問体系を「習い」、何を考えるべきかを知るという方法。先人の残した知の集積を書物を読むことによって「辿り」、個々の意味を理解する方法。他者の考え方や理解の内容を会話を通じて「聴き」、自分なりの体系的な整理をする方法。そのどれをとっても勉強である。しかも、これらのことは日常生活で繰り返していることでもある。
勉強とは、一方的にある方法を「習う」ことではない。自分自身の解釈やアプローチの仕方を「組み立てる」プロセスである。そのように考えると、「勉強する」ことが楽しくなる。「習う」ことだけの底の浅さが見えてくる。日常生活が勉強の場であることを教えてくれているのは、「我以外みな師」の想いである。

マーケティングは変わったのか?

「マーケティングは何故必要なのか?」これは、よく私が受ける質問の一つである。また「マーケティングすると何が変わるのか?」という質問もある。共にある面では"マーケティング"のもつ一面的真理を捉えていると思う。前者は、マーケティングを経営手法・方法論としてみるときの疑問。後者は経営哲学・思想の面でマーケティングを捉える際に沸き起こるものである。単純に考えれば、"Marketing"はMarket(市場)のing(変化・動作)に創造的に適応していこうとする経営行動を言うものであり、方法論として解釈する場合もあれば、「われわれはこうありたい」といった経営の根本思想として見られることもある。巷間、マーケティングは変わったとの声もある。しかし、そうだろうか?1955年に日本の経済界に紹介されたマーケティングは、決してその根本思想を変えることなく議論されてきた。問題にすべきは、企業が真剣にマーケティングをしてきたのか?ということである。つまりその根本思想である「顧客主義」を経営の血液として、脈々たる思想と仕組みをつくり続けてきたのかという自問自答をすべきである。

2008年8月13日水曜日

Marketing って何?

マーケティングは、経営の手段なのか経営哲学なのか。どちらかに決めてしまいたいとする考えもあろう。しかし何事も、「どのようにすべきか」を考える前に「何をすべきか」が先ではないか。手段の体系化をすることも大切だが、自らの行動を律する思考体系を明確にしておきたい。
そこで、マーケティングとは、「常に相手の立場に立って自らの行動を見つめ直す思考の体系」であると捉える。組織行動に限らず個人の行動にもまた、マーケティングは存在すると考えられる。自らの行動を評価し判断を下す相手は誰かを理解することから、マーケティングは始まる。ビジネスに限らず個人の生活においても、自らを取り巻いている環境の変化を如何に自分自身の問題として意識し、そのために今自分達は何をしなければいけないのかを常に見極めていくことが必要である。
自分が相対している対象者(企業にとってみれば顧客=生活者)は、何をしてくれたならば喜んでくれるのだろうかという発想を忘れてはならない。マーケティングは、単に企業が市場を操作する為の手段体系としてだけではなく、いつも相手の立場に立って自らの行動を見直し、その行動自身を律して行く思想と行動の体系と考えられる。

想いを発信する

 今思うこと。それは、HPにローンチした様々なファイルやガイドを、どれだけの人に見てもらえるかということ。 当方としては、500人の方々を目標にしている。 なかなか、難しい。独りよがりにならぬこと。粘り強く。 Management Partnar Staff 清野裕司