2010年5月5日水曜日

顧客

顧客開発,顧客管理,顧客主導,顧客志向・・・「顧客は企業の在外資産」であると言われるように、マーケティング領域では、「顧客」は慣用句のひとつである。
企業にとって「顧客」とは誰のことを指しているのだろうか。そして、どこにいるのだろうか?「顧客」を原典で見直すことから始めてみよう。
「顧客」は「顧(かえりみる)」と「客」からなるが、更にこれは、「雇」と「頁」/「ウ冠」と「各」に分化できる。そして、「雇」=古い/「頁」=頭・顔/「ウ冠」=家・店/「各」=来る、の意味を持つものである。個別の要素を一連で読み解けば、「古顔が店に来る」となり、馴染みの来店・来宅ということになる。一度限りの顔見せではなく、一度の関係(来店)が長く続いて、また顔を見せてくれる人が「顧客」である。
昨今言われる関係性マーケティングにおいて、顧客をいかに維持するかに主題がおかれるのも、店や企業と顧客との長期的友好関係の形成に他ならない。「顧客」は一度として「開発」されたり「管理」されたりしたいと考えたことはなかろう。回を重ねて利用しようと考えるのは、そこに何がしか誘引されるものがあるからであり、それが何かを知ることは、マーケティング・スタッフの大きな仕事である。
顧客との関係づくりとは、店や企業サイドが、何度となく利用していただける魅力を提供しつづけ、馴染みの顔を理解することに始まるのは、「顧客」の原義をたどれば言うまでもない。

2010年5月2日日曜日

感動食

仕事の関係も含め、会食の折に「何を召し上がりますか?」と聞かれた際、私の答えはいつも決まっている。「お寿司がいいです」と。食事のジャンルは一般的に、和食・洋食・中華と分けられるが、幼い頃から個人的には、これに寿司が加わる。母がつくってくれた「巻き寿司」「ばら寿司」「いなり寿司」の味は、郷愁の世界へと誘ってくれる。
人それぞれに、思い出の中の食べ物があるのではないか。家庭内での食事の思い出もあるが、それ以上に外食での思い出が、今も鮮明に浮かんでくることがある。中には、もう既に半世紀近く時が流れたものもある。
5歳の頃、親の転勤で上京した折、初めて旅館で「卵焼き」を食べたことがある。鶏卵自体が高級な食材で、めったに食卓に乗るような時代ではなかったからであろう。その甘さと共に、味わい深い風味が体中を駆け巡っていった。その時の感動が残っているのか、今も出張時の朝食に「卵焼き」を食べている自分がいる。同じく卵にかかわるものだが「オムライス」がある。浅草に現在もあるセキネという食堂で、食べさせて貰ったものである。ふんわりした焼卵で、程よく炒められたチキンライスが包まれている。しかもその上にケチャップが彩りを添えている。味わいと共に、はじめて見る美しさ。7歳の時の衝撃であった。「カツ丼」の甘辛いしょうゆ味に出会ったのは、その後しばらくたった時である。「牡蠣フライ」は、小学4年生のときであった。「天津麺」は、小学6年生。そして、中学生の時に初めてカウンターの前に座って寿司を食する機会を得た。自分の好みを告げると、目の前で自分だけのために調理してもらえる至福の時。その感動は今も強く残っている。
最近は、ついぞ感動の食に出会うことがなくなってしまった。自分自身の食体験が深まったからであろうか。いや、それ以上に、余りにも準備され尽くした食が、日常の中に出回ってしまっているからではないか。今の小学生たちは、20年後、30年後にどのような「感動」を食にもって、語っているのであろうか。

想いを発信する

 今思うこと。それは、HPにローンチした様々なファイルやガイドを、どれだけの人に見てもらえるかということ。 当方としては、500人の方々を目標にしている。 なかなか、難しい。独りよがりにならぬこと。粘り強く。 Management Partnar Staff 清野裕司