2009年8月23日日曜日

感文力

ビジネスのさまざまな場面で「提案力」「企画力」がよく言われるようになってきた。
勿論従来からも、企画することの重要性は唱えられてきたが、現在の長期停滞傾向にある経営環境にあっては、閉塞感を突破する、従来にない新しい発想が待たれている。提案することは、まだ知られていないこと、思いついていないことを「気づかせる」ことから始まる。既に分かっていることを改めて言われても、さしたる驚きもなく、「言われるまでもないこと」と無表情な答えが返ってこよう。気づきを提示することは、聞く側にとっての感動を演出することに他ならない。そこに企画提示の楽しさ、面白さがある。何も知ったかぶりをして告げることではない。新しい見方や考え方を提示することである。
今、マーケティング・スタッフに求められるのは、自分自身の「気づき力」である。世の中にある現象や事実に対して、自らが先ず疑問符を投げかけて考えてみる。なぜこのようなことが起きるのか、なぜ今、このような商品や店が受け入れられるのか・・・幾つもの疑問を自分自身に投げかけてみる。
何がしかの解釈が浮かんでくる。それからが問題である。書き残しておかなければ、自分の気づきがどこかに飛んでいってしまう。忘れてしまうのである。折角思いついたのに、あの考えは何だったか。後になって思い出す。そして企画書に自分の想いを書き込もうとする。「作文」になってしまうのが落ちである。抽象的な文章が並ぶ。当然、現象や事象は丁寧に説明しているが、感動を呼ばない。心が揺れないのだ。作り込まれた文章は、説明的である。
必要なのは、自分が感じたことをそのままに表現する「感文」である。美しいものを「美しい」と書き込む力である。感じたものがそのままに表現されることが、人への気づきを提供する。マーケティングは、未来を予見し、まだ見ぬ世界を描き出すビジネス・アプローチである。
作り込まれた「作文」よりも、マーケター自身の感じた心が発露された「感文」にこそ夢の説明力が内在している。

2009年6月13日土曜日

分析頭

マーケティング・スタッフには「分析力」が重要であるという指摘をよく耳にする。市場の変化から新たなビジネスチャンスを発見しよういう掛け声も再三聞こえてくる。言葉では理解できるが、早々新たな機会が見つかるものでもない。
確かに、さまざまな変化を見るにあたって、大きな全体をつかまえることはなかなか難しいもの。顧客の好みや評価の声を分析する、といった時には、先ずは細かく分ける作業からはじめる。「顧客細分化」の始まりである。世の中の動きは、顧客の変化だけで全てが語られるわけではない。競争相手も動いている。そこで、業界の動きを細かく分類して、個々の変化を見ようとする。業界分析や競合分析といわれるアプローチである。細かく分けた状況について数値や事実を並べると、何となく自分なりに納得をしてしまい、これで「分析」は出来たと思ってしまうスタッフもいるようである。
しかしそれは、単にある状況を整理したに過ぎない。細やかに分けることは、作業の効率を高めることにはなるが、「部分最適」の解を求めていることになってしまう。マーケティングで必要なことは、市場全体が今どのように動いているのかという「全体最適」の解を求めることである。「分析」と対になる視点が必須ということになる。
「分析」の反対語は何か・・・・?なかなか浮かんでこない言葉の一つではないか。そもそも、反対語を思い浮かべるのも案外難しい。小学生の頃に、「高い」の反対語は何かという問いに対して、「低い」と答えた者と「安い」と答えた者で教室が二分されたことがある。共に正解である。
であれば・・・、「分析」の反対は。実は「総合」である。細かく分けたならば、今度はそれらを統合して総合的に見ること。マーケティング・スタッフにはこの両面の見方が求められている。調査スタッフがよく専門家的な思考の溝に落ち込んでしまうのも、実はこの「分析」と「総合」の両面がバランスしていないときに起こる落とし穴である。

2009年5月22日金曜日

気づく力

マーケティングは市場の変化への創造的な適応行動であると、旧来より言われてきた。変化への適応のためには、変化自体に敏感でなければなるまい。ぼんやりと流れ去る時の中に身を置いていたのでは、単に車窓から眺める景色の移り変わりを見ているようなものである。ただ、電車の車窓からの景色は、自分が動いているだけで対象となるモノが移動しているわけではない。企業行動の対象者である顧客は、時々刻々と変化をし、企業の経営に影響を及ぼしてくる。そのためにも先ず、動的なものを静的な立場で見て感じることがマーケティング・スタッフには求められる。
そのスタートは、変化そのものに「気づく」力である。動きを察知する感性とでも言えようか。何かを見て、自らの動きに変える力のことである。ある対象物を見るだけでは、気づくことにはならない。今までとどこか違う、自分の過去の経験だけでは判断できない、書物を通じて知ったことと何かが違う・・・、と先ずは思う。そこからどうするのか。何故かと考え込むこともある。しかし、いつかそのこと自体を忘れてしまう。それでは「気にする」レベルで止まってしまう。気にして動くこと。動きを伴うかどうかが「気づく」力を持っているかどうかの分水嶺になる。
オフィスのデスクの上に置いてあったティッシュがなくなっているようだと思い、新しいボックスを買う(またはストックを取りに行く)、という行為が「気づく」ということ。「気」は人の精神が外に出る様子をいう。景気の良い話が聞こえてこないビジネス環境ではあるが、「気づく」力が新しいビジネスの可能性を産み出すことを忘れないのが、マーケティング・スタッフである。
そのような「想い」を持ったビジネスパーソンと共に学びたいと考えた場が、「私塾」である。

2009年5月21日木曜日

問題意識を持つ

企業トップの講話を聞いていると、よく耳にする言葉に「危機意識・問題意識・当事者意識」の意識三大話がある。
確かに、環境変化への適応の道筋を模索し経営の舵取り役の大任を負う企業トップとしては、笛吹けど踊らずの状況を避けたいところである。そのためにも、全社員が「このままではいけない。何とかしなければ・・・」の「危機感」を持っていなければ革新への動きも鈍くなろうというものである。
しかも、企業に評論家は不要である。何か新しい動きを始めようとするとすぐに、「そうは言っても・・・」「過去の実績から言えば・・・如何なものか・・・」と、したり顔でネガティブ論を展開する輩。自らが推力となって実行して始めて成果を見る「当事者」の想いを持たなければ、そもそも何も始まらない。
ところで今ひとつの「問題意識」である。そもそも問題意識とは何か。マイナス現象が起きたことを見続けることか?それでは、ネガティブ・チェックをすることになり、未来に向けた解決策が生まれてこない。そうではない。「問題意識」は、誤解がないように英語で言った方が良いのではないか。“Full-time Thinking”である。常に考え続けること、意識の中に自らの課題を持ち続けることである。NHKの番組に「プロジェクトX」があった。その基本コンセプトを「思いは叶う」と言う。ある課題に問題意識を持ち続ければ、答えは生まれる。
マーケティング・スタッフが持つべき問題意識とは、「一つことへの想いの継続力」と理解できよう。

2009年1月2日金曜日

「脳力」養成

マーケティングが日本のビジネス界に登場して半世紀強。最近は、これといって新しく体系化されたマーケティング理論に接することが少なくなっている。コトラー、レビットそしてドラッカーと、先人の残したマーケティング理論を今の時代に置き換えて解釈する動きが多く見られる。それだけに、今世紀のマーケティングを自分の頭で考え、生み出す個人的な脳力への注目度が高い。
ある現象を整理しレポート化する力は、過去のモデルを参考にして分野的なスキルを高めれば対応可能であり、まさに「こなすべき技能的な能力」。見えてくる現象から、未来を仮説していくのに必要になるのは「共感を呼ぶ言語的な能力」。そして、計画を実行に移すべく詳細な行動計画にまで進めるためには、個人が持つ「信頼を得る人間的な能力」。同じ機能(能力)を発揮するにも、ビジネスの広がりや深まりにより求められるものが異なる。
一方ビジネスを進める際に、他人は相手の能力を測りながら関係密度の深まりを計っている。上辺の関与を基本にしてこれを繰り返し、その能力を便利に使おうとする関係もあれば、何事かあれば相談相手としてヒントを得ようとする関係。そして、更に深く恒常的な相談相手として頼る関係。最初のものは作業関係であり、次が業務関係、そして次の深さが人間関係である。ヨコに広がるビジネスのレベルを強固な関係にするためには、自分自身のこだわりや想いを、ビジネス実行のプロセスにどれだけ込めることが出来るかを問うことである。カタチだけではなく、プロジェクトを進めていく段取りに関する暗黙の知恵、いわば自分自身の業務適応力。それこそが上辺の技能力に流されない根源的な「脳力」と呼ぶものではないか。
「変」化が言われる時代。マーケティング・スタッフには、今まで以上に自らの「脳力」を高める行動力が問われている。

想いを発信する

 今思うこと。それは、HPにローンチした様々なファイルやガイドを、どれだけの人に見てもらえるかということ。 当方としては、500人の方々を目標にしている。 なかなか、難しい。独りよがりにならぬこと。粘り強く。 Management Partnar Staff 清野裕司