2017年4月22日土曜日

「ビジネス心論」第九稿


「起業」への期待と心得=その3:金脈よりも人脈。そして、想いを語る脈絡。=

理論を読み解き、自らのものに置きかえる思考過程が必要である。「理論」の文字を逆転させた「論理」の必要性である。「論理」とは、自らの考えを説明する道筋のことである。ある現象を自分なりにどのように解釈したのか。その理由付けを、他者が聞いてわかるように説明する力である。

[My Question]

事業展開の支援者は誰か。

事業を実行するパートナーはいるのか。事業を支援してくれる人(機関)はいるのか。

出資をしてくれるのは誰か。あるいは、先ずは個人で実行するのか。

資金の裏付けはあるのか。

事業が動き始めれば、その実行のためには資金が必要である。費用充当のあてはあるのか。

机上での予定以外にコストはかかる。思いの他の支出を覚悟しておかなければならない。

事業内容をどう説明するのか。

新しい領域のものの場合には、投資家に対しても説明することが難しい。具体的に事業をイメージできる   
    ような説明コンテンツを準備しておく必要がある。

2017年4月18日火曜日

「ビジネス心論」第八稿


「起業」への期待と心得=その2:何を想う、誰を想う、未来を想う


起業とは、自らの夢をカタチに変えていくプロセスであり、時代の変化と共に進化を続ける生命を育む業(わざ)と理解すべきである。その変化の中に自らを置くと、誰のために自分は何をすべきか、何を遺して未来を描くのかが見えてくる。その際に何を確認すべきか。自問自答で自らに投げかけることだ。

[My Question]

そもそも何をしたいのか。

自分の夢を実現したいのか/開発したモノを提供したいのか/他人を驚かせたいのか・・

「対価は後からついてくるもの」と思えるか。私は、マーケティングの理論と現場を結ぶことをしたかった。

誰のために事業を始めるのか。

ビジネスはさまざまな他者との関与によってカタチ化していく。夢想するビジネスの関与者(特に顧客)     
    誰と考えているのか。その結果は、自分(家族)にどのような影響を与えるのか。

私は、「自分」のために起業をした。人生の主役は「自分」であるべきと考えていた。

どこまでの未来を夢想しているのか。

明日の行動も「未来」ではあるが、少なくとも3年後に自分は何をしていたいかを、具体的に想像しておく  
     ことが、自らへのプレッシャーになり、進化の原動力にもなる。



2017年3月21日火曜日

「ビジネス心論」第七稿


「起業」への期待と心得=その1:起業には3つの心得がある。

自分自身の体験も含めて考えると、「企業」人を離れて「起業」する際には、
3つの心得がある。
自らが進み行く道を切り拓く「覚悟」と見ることもできる。

一つは「想」:

Ø自分は何をしたいのか。幼い頃より「想い」続けてきたことはあるのか、長じてどのような分野に身を置こうと思ったのかを、常に「想起」すること。

Ø個人的には、幼少期よりの「想い」が支配していたこともあり、起業することが「思念」のベースにあった。経済的な価値追求ではなく、自らの「夢想」の実現が主題であった。

Ø遠い先を読むことは出来ない。ただ、近い将来(3年後)、自分はどのような環境で、どのように振舞っていたいかは、常時思考(Full-Time Thinking)してきた。

二つは「脈」

Ø起業するには経済的な支えは必要である。いわゆる「金脈」。しかし、それ以上に必要なことは自らの想いを支援してくれる「人脈」である。

Ø特にプロジェクトを推進するにあたり、誰を知っているか、誰とコンタクトを取ればうまくいくのかは、プロジェクト自体の質を左右するポイントである。

Øまた、自分の考えを説明する「文脈・論脈」の設計は、仮想的なビジネスを実体化していく上で欠かすことの出来ない能力である。

三つは「動」:

Ø考えを持たずに動くことは、単なる無駄な動きに過ぎない。そうではなく「考動」の心得を持つこと。考えすぎるとネガティブ思考に陥りがちである。そこそこ考えたなら、動くこと。

Øインターネットが常態化した今、連絡には「速度」よりも「即度」が求められるようになった。それだけに、起業家自身の動きの良さ、日常の動作は他者からの評価にすらなっている。

Øわからないことがあったならば、ネットの検索は当然の動きとして、これに何を加えることが出来るか、誰との出会いを演出できるかによって、ビジネスの広がり方は異なってくる。

2017年3月9日木曜日

「ビジネス心論」第六稿

「良い」企業から「善い」企業への転換 =その3:先人の「想い」が「型」をつくる=

「経営」を机上の学問で終わらせることなく、ビジネス現場で実践してきた先人の声には「なるほど」とうならせるものがある。そこに、自らの「夢」を実現しようとする強い想いが働いているからではないか。決められたルールのない状況から、新たな事業を起こす。そして、その人・企業なりのやり方を生み出し、「人となり」を感じさせ、その企業らしさがさまざまな分野や場面で形となって現出する。
 松下幸之助や本田宗一郎の発した言葉は、時代を超えて普遍的な意味を持って、現代に投げかけられる。 耳に残るのではなく、心に響く言葉が多い。そこには、研究者が一般化して発している記号としての言葉ではない深さがある。しかも、それらの言葉には「解説」はない。聞いた者たちの「解釈」を通じて、心に刺さっていく。 個人(故人)が、その時に自らが汗をかいて、腹の奥から発した言葉である。喉からの言葉というよりも、腹からの言霊といった方が良い。
 そこには強い想いが隠されている。同じ言葉を一言一句暗記(練習)して自分で発したとしても、裏打ちのない言葉は、単にむなしい響きが残るだけである。先人の想いに近づこうと鍛錬し、新たに生み出そうとする日々の稽古を通じて、表現は違うものの先人の「想い」に近い言葉が生まれてくるのではないか。そこにこそ、企業の経営が学ぶべき姿勢があると考える。
 今、日本の多くの企業には、新時代の経営の「型」をつくり出す力が求められている。その「型」は全てが言葉になっていないものかもしれない。しかし、「善」をなそうとする想いや行動を見ることは出来る。
 あるビジネス・スタイル(型)を生み出した経営者に、個人的に守り続けている「こだわり」を確認することも良い。一日の行動をつぶさに見ることも良い。その全てが、学習の素材になる。これからの経営モデルを生み出そうと、日々格闘しているビジネス・パーソンへの、ある時はガイドブック、ある時は激励文、そしてある時は、道標にもなるものである。「型」の要素に、これからの経営の指針が多く含まれていると考えられる。

2017年3月2日木曜日

「ビジネス心論」第五稿

「良い」企業から「善い」企業への転換 =その2:「善い」企業には「型」がある=

 半世紀以上前の、いわゆる戦後復興期の日本経営の論理は、「成長の軌跡」を描くための「効率性」「生産性」をベースにおいていたことは論を待たない。そのために、ある時は「人間性」が置き去りにされてしまったこともある。1990年代にバブル経済が崩壊してより、欧米の経営モデルが多く紹介され、新しい言葉の渦の中に途方にくれてしまった企業人にも多く出会うことがあった。
 決められたレールに乗って、「身体に汗」をかくことを教えられたビジネス・パーソンが、新時代の経営のあり方を模索して「頭に汗」をかくよう指示されても、はたと何をすれば良いか路頭に迷うところである。
 その背景には、決められたルールに則った「形」の訓練は受けたものの、新しい「型」を求める学習機会や内発力向上の機会を失したままに歳を重ねたことも一因と見ることが出来る。企業の人材面から見れば、何とも「もったいない」話である。人は本来「考え」「生み出し」「つくり出す」能力を持っているにもかかわらず、ただひたすらに「行動」力をつけることが求められており、「考動」の術を持たない人材になってしまった。企業の人材育成が誤っていたわけではなく、さまざまな「技能」習得を基本にした学習機会が大勢を占めていたからである。
 今、新しい経営のモデル(型)が求められている。ブルーオーシャンの言葉を持ち出すまでもなく、新たな原野を開墾し、自らの糧を生み出す土地(市場)創造の知恵が求められている。
 決められた分野での技能を高める学習は、その分野を横に広げる「形」は生み出すものの、新たな視点で深めていく「型」を生み出すことは出来ない。


2017年2月22日水曜日

「ビジネス心論」第四稿

 
「良い」企業から「善い」企業への転換 =その1=

 「会社の寿命:盛者必衰の理」が日本経済新聞社から上梓されたのは1984年8月。会社の寿命は30年と、時にセンセーショナルな話題を投げかけた。その前後に、「続・会社の寿命:衰亡を招く“第2の法則”」(85年6月)/「続々会社の寿命:強さの研究」(85年11月)/「良い会社:長寿企業の条件」(84年2月)/「続・良い会社:夢ある会社の条件」(85年9月)が続いた。そして、90年代に入ってからは、地球環境やリ・ストラクチャリング(人減らしではない企業再構築)を主題にした、「環境に良い会社:地球に優しい経営の条件」(91年11月)/「会社の改造:ニッポン再構築への胎動」(92年12月)が、さらに「強い会社:勝ちパターンを描く個性派企業」(94年7月)/「続・強い会社:揺るぎなき経営理念の実践」(95年6月)が上梓され、企業経営に対するオピニオンを発信してきた。
 書籍のタイトルは、ある面その時代時代の世相や注目テーマを取り上げている。踊る言葉に、かつてより日本企業を評価してきた尺度が見え隠れする。基本は「体つき」をベースにしているように思える。曰く、体格(企業の規模)であり、体力(経営の資源)、そして体質(組織の風土)である。
その3軸を基本にして、時の経営環境にいかに適応をするかが基になっていたと見られる。相対的な評価を想定して、多くの尺度は数量化され、企業の産出する価値の総計を、売上や利益、株価、給与水準等々の計数によって順位付けがされていたこともある。
 企業の経営目的を経済的な価値増殖におけば、そのような判断も「正」として受け入れられる。
しかし新しい世紀になってから20年弱。ましてや、雇用不安を生み出している社会環境にあって、果たしてそのような定量的な尺度を基軸として企業の行動を見ることが良いことであろうかという疑問が浮かんでくる。企業を「法人」というように、人格を持った有機体と考えれば、人を見るときに、その人の「体つき」だけで判断をするかどうかを問うてみればよい。それだけではなく、その人の「人となり」もうかがい知ろうとするのではないか。先述の「体格・体力・体質」に加えれば、その企業ならではの「体(てい)」とでも言うべき視点であろうか。
 その基本は、「良いか悪い」かといった相対的な尺度から、「真・善・美」のまことを持った「善い」行いとは何かを考え、社会・顧客と共に未来を創造し、価値を生み出す力を評価する時代になっていると捉えるべきではないだろうか。

2017年2月14日火曜日

「ビジネス心論」第三稿


自分探しの道に迷う君に、志」の一考 

  ビジネスでは、一人ひとりそれぞれの心の中にあるものに大いに期待したい。未来に向けて描いているあろう自分自身の姿である。いつも、自らの心が、どちらの方向を向いているのかを確認したい。
  心が指す。まさに「こころざし=志」である。何となく茫洋とした意志かもしれない。若者の間では「自分探し」という言葉も聞く。自分が何に向いているのか分からないので、固有の職を持つことなく、自分の可能性を探すと言う。しかし、考えをいくら巡らせたところで、自分自身の実体が浮かんでくるとは思えない。先ずはやってみることではないのかそもそも、自分は「さがす」ものではなく「つくる」者と心得ている。
  好きなことを一生続けられると幸せ、との言も聞く。しかし、志は決して好きなことばかりを迎え入れてはくれない。嫌なこともある。意に沿わないこともある。ただ、嫌だと思ったことも、次なる自分を生み出す術と心得た時に、嫌なことではなくなる。自分の心と会話をしたかどうかが問われる。
 「心こそ、心惑わす心なれ。心に心、心許すな」と昔から言われる。心が指し示す方向を持った自分との出会い。心してその時を大切にしたい。

若きビジネスパーソンに、気」の一文

新たな環境では、気遣いも多いことだろう。気疲れから、気温には関係なく風邪をひくケースもある。ただ、ビジネスは人と人との関係によって成り立つ。それだけに気配りも必要である。どのような人に対しても、自らの気概を見せながら気後れせずに立ち向かって欲しい。余り気負うと運気が落ち気味の時には気落ちしてしまうことになる。
  気兼ねをしなければならない場もある。気軽に話し掛けてくれる人もいるだろう。気障(きざ)な人もいる。ただ、ものは考えよう。気持ちをしっかりさせていれば、気合が入るもの。たまには気晴らしに気の会う仲間との酒席も良い。和気あいあいとした中で気勢をあげることだろう。そのときの空気を読み込みながら、気宇壮大な未来を描いて欲しい。酒気を帯びていても気品ある態度は、気分を盛り上げるものだ。
  「気」は人の精神が外に出る様子をいう。景気の良い話が聞こえてこないビジネス環境ではあるが、元気な振る舞いは、気骨を感じさせるものだ。根気よく意気を感じさせる日々を送りたい。若気の至りと言えぬ歳を重ねた今、改めて「気」を高めて気づきの一文。