2010年4月14日水曜日

分散休暇

時に自分自身の理解を超えるテーマが取り上げられ、自分の日常には登場しない場で議論されていることがある。最近では「長期休暇の地域分散化」がある。どのようなことが発想の起点であろうかと、そもそも真剣な顔で議論を始めようとしている面々の顔を見てみたい。
「暦」を変えるとは、暮らしのリズムを変えることである。それだけに、日常生活に多大な影響を与える。それが、思いつきのようにもみえる論点を取り出して、本気の議論の俎上に乗せたのでは迷惑な話である。観光地を活性化することが第一目標とか。果たしてそうだろうか。
観光地に行く行動ユニットを、家族・ご近所といった内々のメンバーで捉えれば、それぞれが分散して出かけることになり、ある地域では数日間に集中することなく長く客足が続くという、楽観的なシナリオを描くことも出来る。しかし、ことはそれ程うまく運ばないのは、よくあること。東京と関西に分散して住む兄弟が、正月以外ではなかなか会うことが出来ないので、新緑の頃か秋のひと時に老親も加えて揃って伊豆に温泉旅行に行こうと考えた場合にはどうか。関東圏と関西圏で休日が異なったのでは、どちらかの兄弟が予定を変更せざるを得なくなる。
と、このように考えること自体が、自らの生活リズムを仕事中心で考えるオールド・モデルとでも言うのであろうか。時を一にして民族大移動が起きる、日本型の休暇スタイル。それ程スマートなものとは思わないが、かといって、エリアごとの暦を変えることは、もっとスマートではないように思える。それよりも、労働スタイル自体を見直し、生活リズムにもっと自由度が高まる政策を考えた方が良いのではないか。
マーケティングは、エリアごとの生活特性を考慮してさまざまな施策を考える。エリア・マーケティングの発想も、地域文化への適応を考慮した見方である。単に地区を分断する考えではない。とすれば「暦」は誰が決めるものなのか。選挙優位を考える政治には、生活優位の施策を考える糸口は期待できないか。

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