2010年4月17日土曜日

敬称略

仕事をしていると、自分の名前にさまざまな敬称がつく。「~君」「~さん」「~社長」「~先生」そして呼び捨ての「~」。どれもそのときに応じたものである。したがって、そう呼ばれる自分も、そのときの気分になっている。
「君」と呼ばれるのは、先輩・上司などの上からの呼びかけ。またある時は同列関係の仲間からの声掛け。共にさしたる緊張感はなく、即座に気軽な会話の中に入っていく。「さん」と呼ばれるのは、仕事の関係での社外・社内のミーティングの時。スムーズな時には、ごく普通に日常的やり取りが続く。「社長」との声は、組織上下の関係を他者が計りながら掛ける挨拶的な声。どうしてもかしこまって、何となく相手との距離を見計らった会話になる。時に「先生」と言われることがある。そもそも、職業として教壇に立ってものを教えたり講じたりしているわけではない。幾つかの自分の仕事の中で、講演をしたりワークショップを展開する時の呼びかけである。何となくかしこまって議論を始めたり、不明な点への質問をしたりと、上下の関係が見えてくる。
自分の業務の中では、もちろん「さん」付けで呼ばれることが圧倒的に多い。次に「先生」であろうか。しかし個人的には、全て「さん」付けで良いと思っている。ある一定の距離感がそこにはあるからである。また、上限関係を余り感じない。壁を隔てて、お互いに考えを膨らませようといった印象がある。そして今ひとつ敬称略の呼び捨て。これは、お互いが深く知り合った仲間との会話の相の手のような印象すらある。幼い時からの友人・仕事を超えた仲間・・・呼び捨てにして失礼ではない関係とは、暗黙のルールに守られた仲間内の会話時のことである。
久々に大学時代の先輩に車中で再会した。その場では「敬称略」。垣根も壁もない。そんな空間にいる自分の顔は、時を超えた20代の顔をしているのだろうか。

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