2017年3月2日木曜日

「ビジネス心論」第五稿

「良い」企業から「善い」企業への転換 =その2:「善い」企業には「型」がある=

 半世紀以上前の、いわゆる戦後復興期の日本経営の論理は、「成長の軌跡」を描くための「効率性」「生産性」をベースにおいていたことは論を待たない。そのために、ある時は「人間性」が置き去りにされてしまったこともある。1990年代にバブル経済が崩壊してより、欧米の経営モデルが多く紹介され、新しい言葉の渦の中に途方にくれてしまった企業人にも多く出会うことがあった。
 決められたレールに乗って、「身体に汗」をかくことを教えられたビジネス・パーソンが、新時代の経営のあり方を模索して「頭に汗」をかくよう指示されても、はたと何をすれば良いか路頭に迷うところである。
 その背景には、決められたルールに則った「形」の訓練は受けたものの、新しい「型」を求める学習機会や内発力向上の機会を失したままに歳を重ねたことも一因と見ることが出来る。企業の人材面から見れば、何とも「もったいない」話である。人は本来「考え」「生み出し」「つくり出す」能力を持っているにもかかわらず、ただひたすらに「行動」力をつけることが求められており、「考動」の術を持たない人材になってしまった。企業の人材育成が誤っていたわけではなく、さまざまな「技能」習得を基本にした学習機会が大勢を占めていたからである。
 今、新しい経営のモデル(型)が求められている。ブルーオーシャンの言葉を持ち出すまでもなく、新たな原野を開墾し、自らの糧を生み出す土地(市場)創造の知恵が求められている。
 決められた分野での技能を高める学習は、その分野を横に広げる「形」は生み出すものの、新たな視点で深めていく「型」を生み出すことは出来ない。


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