2017年2月22日水曜日

「ビジネス心論」第四稿

 
「良い」企業から「善い」企業への転換 =その1=

 「会社の寿命:盛者必衰の理」が日本経済新聞社から上梓されたのは1984年8月。会社の寿命は30年と、時にセンセーショナルな話題を投げかけた。その前後に、「続・会社の寿命:衰亡を招く“第2の法則”」(85年6月)/「続々会社の寿命:強さの研究」(85年11月)/「良い会社:長寿企業の条件」(84年2月)/「続・良い会社:夢ある会社の条件」(85年9月)が続いた。そして、90年代に入ってからは、地球環境やリ・ストラクチャリング(人減らしではない企業再構築)を主題にした、「環境に良い会社:地球に優しい経営の条件」(91年11月)/「会社の改造:ニッポン再構築への胎動」(92年12月)が、さらに「強い会社:勝ちパターンを描く個性派企業」(94年7月)/「続・強い会社:揺るぎなき経営理念の実践」(95年6月)が上梓され、企業経営に対するオピニオンを発信してきた。
 書籍のタイトルは、ある面その時代時代の世相や注目テーマを取り上げている。踊る言葉に、かつてより日本企業を評価してきた尺度が見え隠れする。基本は「体つき」をベースにしているように思える。曰く、体格(企業の規模)であり、体力(経営の資源)、そして体質(組織の風土)である。
その3軸を基本にして、時の経営環境にいかに適応をするかが基になっていたと見られる。相対的な評価を想定して、多くの尺度は数量化され、企業の産出する価値の総計を、売上や利益、株価、給与水準等々の計数によって順位付けがされていたこともある。
 企業の経営目的を経済的な価値増殖におけば、そのような判断も「正」として受け入れられる。
しかし新しい世紀になってから20年弱。ましてや、雇用不安を生み出している社会環境にあって、果たしてそのような定量的な尺度を基軸として企業の行動を見ることが良いことであろうかという疑問が浮かんでくる。企業を「法人」というように、人格を持った有機体と考えれば、人を見るときに、その人の「体つき」だけで判断をするかどうかを問うてみればよい。それだけではなく、その人の「人となり」もうかがい知ろうとするのではないか。先述の「体格・体力・体質」に加えれば、その企業ならではの「体(てい)」とでも言うべき視点であろうか。
 その基本は、「良いか悪い」かといった相対的な尺度から、「真・善・美」のまことを持った「善い」行いとは何かを考え、社会・顧客と共に未来を創造し、価値を生み出す力を評価する時代になっていると捉えるべきではないだろうか。

0 件のコメント:

想いを発信する

 今思うこと。それは、HPにローンチした様々なファイルやガイドを、どれだけの人に見てもらえるかということ。 当方としては、500人の方々を目標にしている。 なかなか、難しい。独りよがりにならぬこと。粘り強く。 Management Partnar Staff 清野裕司