ここ数年、企業のマーケティング・スタッフの方々と一緒になって、ビジネス・テーマを考える場に参画したり、企業内のスタッフの前で話をさせて頂く機会が増えてきた。一方通行的なものではなく、お互いに会話をしながら知恵を熟成させ、新たな発想を求めるワークショップ・スタイルのプロジェクトである。そのような場でよく聞かれることがある。「マーケティングについて、どこで勉強するのですか」との問いである。この類の質問が、最も答えに窮するものである。
個人的に日々の見聞自体が勉強と心得ている者にとって、改めて「どこで・・・」と聞かれても、「普段の生活で・・・」と答える訳にもいくまい。なぜならば質問を投げかけた側は、他者の前でマーケティングを語るのであれば、当然、学校や先生から教えて貰う場面があるはずと思い込んでいる節があるからである。「普段の生活場面が学びの場です」などと答えたのでは、会話が進まなくなってしまう。そこで、「このような場で話し合って、お互いに啓発しあうことが、私の学びの場です」と答える。やや不満な顔がそこにはある。
しかし、勉強とは「知らないことをわかるようにする」「自分なりの解釈をする」「学問を体系的に理解する」と、さまざまなレベルがある。どの段階にあっても、さまざまなアプローチがあろう。学校で一般的な学問体系を「習い」、何を考えるべきかを知るという方法。先人の残した知の集積を書物を読むことによって「辿り」、個々の意味を理解する方法。他者の考え方や理解の内容を会話を通じて「聴き」、自分なりの体系的な整理をする方法。そのどれをとっても勉強である。しかも、これらのことは日常生活で繰り返していることでもある。
学ぶとは、一方的にある方法を「習う」ことではない。自分自身の解釈やアプローチの仕方を「組み立てる」プロセスである。そのように考えると、「学ぶこと」が楽しくなる。「習う」ことだけの底の浅さが見えてくる。
日常生活が学びの場であることを教えてくれているのは、「我以外みな師」の想いであろう。
2011年8月4日木曜日
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