2011年8月1日月曜日

「ない」無い社会

通勤電車の車両の中で、高校生の男女が頬を寄せ抱き合って立っている。通学途上であろうか。そもそも学びの場に向かう姿勢には見えない。それ以上に公衆の面前での振る舞いとは思えない。「みっともない」からやめなさい・・・との声も上がらない。多くは眼をそらしている。あたり構わず、大きな声での会話。ひと時動物園のサル山の風情である。
その少し離れたところで、大きな鏡を出して髪を整えているOLと思しき女性。これもまた「みっともない」と本人は思っていない。日本の女性の特徴であった「さりげない」おしゃれ感覚は、決して全てをさらけ出すのではなく、ある一面は隠すところに風情があったようにも思うのだが。
昨夜のTVのバラエティ番組の評論が始まっている。最近はやりの、お笑いタレントに対する批評である。「くだらない」という言葉が飛び交う。その「くだらない」内容を真剣な眼差しと、限られた単語を羅列して早口でまくし立てている。その会話自体が「くだらない」とは誰も言わない。多少のしかめっ面が見えるだけである。
昼に定食レストランに行く。近隣の競争を意識して、質もそうだが見せかけのボリュームを競う店もある。若い女性では到底食べきれるものではない。食べ残す。誰も「もったいない」などとは言わない。さも普通である。食べられない量を出す店が悪いのであって、自分には何の非もない、といった顔つきである。米一粒食べ残すことに「もったいない」と親に叱られた世代からすると、何ともやるせない。
朝から夕刻までの一日。「~ない」を思いながら言う機会なきままに、目の前の風景が流れる。これも今の情景なのか・・・「しようがない」ことなのか。

0 件のコメント:

想いを発信する

 今思うこと。それは、HPにローンチした様々なファイルやガイドを、どれだけの人に見てもらえるかということ。 当方としては、500人の方々を目標にしている。 なかなか、難しい。独りよがりにならぬこと。粘り強く。 Management Partnar Staff 清野裕司